2023年9月20日水曜日

討議資料を批判的にみる

    討議資料を批判的にみる

    賀川問題を取り上げるとき、私たちは、二つの『討議資料』の存在を無視することはできません。

    「『賀川豊彦と現代教会』に関する討議資料」(以下『討議資料』と呼ぶ)は、日本キリスト教団常議員会名で、同「討議資料第二部」は、常議員会・『賀川豊彦と現代教会』に関する小委員会名で作成・公表されました。 この討議資料が出されて以来、西中国教区でもまたその諸教会でも、この討議資料にのっとって賀川問題がとりあげられてきました。

    しかし、この討議資料を何度も読み返していましたら、だんだん、この討議資料が前提としている賀川豊彦理解に疑問を感じるようになりました。 たとえば、『討議資料』4頁には、賀川豊彦に対する基本的認識として、次のような文章があります。「言うまでもなく賀川豊彦は日本の代表的なキリスト者の一人であり、特に、愛の実践者として評価されてきた人ですが、<それほどの人でありながら>このようなひどい差別意識を持っていたということは、同じキリスト者である私たちに、あらためて問題の深刻さ、根深さをつきつけるものであります。 賀川は、<無自覚的に>あのような差別意識に満ちた文章を書いたのだと思います。」

    『討議資料』は、基本的な前提として、(1)賀川豊彦はキリスト者として偉大な人物であった、(2)賀川豊彦の差別発言は無自覚的なものであって彼は、決して ない自覚的な差別者ではないーーという認識を持っています。

    このような基本的認識は、『討議資料第二部』においても継承・強化されています。 『討議資料第二部』にこのような表現が見られます。 「<あれ程の>愛の実践家であった賀川の中になお、差別性があったという事実・・・」。 「また、<そんな偉大な賀川にして>、なぜあのような差別文章を書いたのか・・・」。

    最近、西中国教区部落差別問題特別委員会委員として、部落解放運動の現場に身を置くことが多いのですが、『討議資料』に見られるような<弁明>は<差別者の弁明>としていたるところで耳にします。 差別発言をした人は、決まって、自分の差別発言が自分の人格の中心から出てきたものではないこと、差別発言は、うっかり<無自覚的に>出てきたものであって自覚的に差別するつもりは毛頭なかったことを主張します。 誰も、自覚的に差別発言をする人はいません。 いるとしたら、広島県尾道市で部落差別事件を起こした小林百合子ぐらいなものでしょう。 彼女は、現在でも、自ら宣言して、部落差別発言を続けています。 「多分」差別発言をした大多数の人は、自覚的に差別したのではなく、うっかり、たまたま、<無自覚的に>差別発言をしたのではないでしょうか・・・?

    現在も、山口県でも学校教育場や社会教育、そのほかの現場で、いろいろな差別事件が<無自覚的に>、次から次へと引き起こされているのです。ーー無自覚的に部落差別発言が繰り返されるほど、それほど、部落差別は深刻なのです。

    なぜ、日本基督教団常議員会とその小委員会は、普通、差別者が<弁明>・<釈明>の中で用いるような<差別隠し>的な表現を、そのふたつの討議資料の中で展開しているのでしょうか・・・、私には、理解することができません。



    

目次

     目次     1. 討議資料を批判的にみる     2. 中間に立つ人々     3. 『賀川豊彦全集』を通読して     4. 日本に身分制度はない?     5. 「貧民」とは     6. 「貧民」とは誰か     7. 賀川豊彦の「貧民対策」     8. 「隔...